その男には、特異な能力があった。
普通の人が日常の会話で自然に口にする冗談や軽口、笑い話――そういったすべての「ユーモアの要素」が、彼にとっては未知の領域だったのだ。
人は彼を、敬意を込めて「笑わない男」と呼んだ。
なぜなら、彼は生まれてこのかた一度も笑ったことがなかったからである。
一度、友人が彼にこう尋ねたことがある。
「ねえ、なんで君は冗談がわからないんだい?」と。
彼は首をかしげ、冷静な表情で答えた。
「冗談?それは、論理的に無意味な情報の羅列だろう?意味のないものに時間を割くのは非効率だ。」
この一言で、周囲の人々は彼がいかにジョークやユーモアから遠い存在かを再確認することになった。
彼の真面目さは職場でも有名である。
会議で同僚がちょっとした軽口を交わす場面に出くわすと、彼は眉をひそめて疑問を投げかける。
「この発言は業務に直接関係がありますか?」
その瞬間、会議室はシーンと静まり返る。
誰もが「あ、また来たか」と思い、彼が話し終わるのを待つのだ。
だが、彼自身は全く気にしていない。
なぜなら、彼にとっての「笑い」は無駄なものでしかなく、すべての会話は効率的かつ論理的であるべきだと信じているからだ。
例えば、ある日ランチの時間に同僚が「今日はお昼に何を食べる?」と聞いた時のこと。
みんなが「ラーメン?」「ハンバーガー?」と軽い会話を交わす中、彼は真剣な顔で言った。
「栄養価を基準に選ぶべきだ。タンパク質、炭水化物、ビタミンのバランスを考慮する必要がある。したがって、サラダとチキンが最も適切だろう」。
その場にいた全員が一瞬沈黙したが、彼の真摯な態度を見て、誰もそれ以上の反論をすることはできなかった。
このように、彼は日常のすべてを「真面目」かつ「論理的」に捉えて生きている。
ある意味、彼は“ユーモア”という不確実性のない、完璧な秩序の中に生きているとも言えるだろう。
誰かが失敗したり、ドジなことをして笑いが生まれる場面でも、彼はただ眉をひそめて冷静に言う。
「なぜ失敗したのか原因を分析すべきだ。笑いは問題解決に貢献しない。」
そんな彼にも、実は周囲の人々から感謝される場面が多々ある。
例えば、社内で緊張感が漂うプロジェクトの締め切りが迫る中、誰もがプレッシャーに押しつぶされそうになっていた。
そこで誰かが「もうここまで来たら、笑うしかないよね!」とジョークを飛ばした瞬間、彼は真顔でこう言った。
「笑っても問題は解決しない。むしろ、作業の進行を妨げるだけだ」その言葉にみんなはハッとし、再び集中モードに切り替わった。
結果、プロジェクトは無事に成功裏に終わったのだ。
彼の真剣さと徹底した効率主義は、時折救世主のように作用するのだ。
彼の「ユーモアゼロ」な性格は、恋愛にも影響を与えていた。
ある時、彼に恋心を抱いた女性が、「一緒にコメディ映画を観に行かない?」と誘った。
しかし、彼の返答は斜め上をいくものだった。
「笑いを目的とした映画には生産性がない。映画を観るなら、教育的なドキュメンタリーが最適だ。」
その瞬間、彼女の顔に現れた微妙な表情に気づくことなく、彼はドキュメンタリー映画のリストを真面目に提案し始めた。
恋愛の行方はもちろん言うまでもない。
それでも彼の人生には確固たる価値があった。
なぜなら、彼は「真剣に生きること」の意味を誰よりも体現していたからだ。
彼にとって、笑いや冗談は、人生を曇らせる霧のようなものでしかない。
彼の世界はクリアで、理性的で、すべてが目的に向かって一直線に進むべきものだった。
ある日、彼の誕生日パーティーが社内で開催された。
しかし、彼は当然「パーティー」を理解しなかった。
「何のために集まっているのか?目的は何か?」と彼は真顔で尋ねた。
皆が「今日は君の誕生日だよ!楽しくお祝いしようよ!」と答えると、彼は納得いかない様子でこう返した。
「私の生誕日は既に過去の事実だ。それを祝うことに生産性があるとは思えない。」
彼の論理的かつ冷静な返答に、周囲はまたしても静まり返ったが、すぐに笑い声が上がった。
「これが彼らしいね」と。
しかし、彼はこの場でも一切の微笑を浮かべることなく、淡々とケーキを切り分ける手伝いをしていた。
ケーキを食べることが「エネルギー補給」に役立つと知っていたからだ。
このように、彼は「ユーモアゼロ」の男として、その真面目さと徹底した実直さで人々に影響を与え続ける存在であった。
どんなに周囲が笑おうとも、彼は揺るがない。
ジョークもユーモアもない人生を全うしながら、彼は自身の信念を貫き、ある意味で人々に尊敬される存在となっていたのだ。
彼の生き方は、少なくとも一つの真実を示している。
笑いがなくても、人生はしっかりと進んでいく。
そして、彼がその道を歩む限り、彼の周りには笑いが広がるという、皮肉な事実もまた。
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