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歩きタバコに遭遇したら臭いを嗅げる鼻があることに感謝する

私の自宅から最寄り駅への道は線路沿いの一本道で、駅から出てきた愛煙家がこぞってタバコを吸い始めるスポットとなっている。

私はタバコを吸わないので、歩きタバコの臭いが本当に苦手だ。

そういえば私が小さい頃は飛行機の座席に灰皿が付いていたり、特急列車に喫煙車があったりした。

特急列車の喫煙車なんかは、もはや雲の中か霧の中に迷い込んだかのようにタバコの煙が蔓延していた記憶がある。

私の少年野球時代の監督も我々小学生の目の前でタバコを吸っていた。

その当時はそれが当たり前に感じていたので、特段不快な思いはしなかったような気がする。

(下に続く)




しかし、最近は喫煙ルームや喫煙所などが整備されて、普段からタバコの臭いに接することがなくなったせいか、あの臭いにより敏感になってきたような気がする。

歩きタバコをしている人に路上喫煙禁止条例によって過料を科して欲しいのは山々だが、繁華街のど真ん中でもない限り、歩きタバコを取り締まる人材を出すことは不可能だろう。

自分で取り締まりを行うのも時間の無駄であるし、歩きタバコをしている人(臭いの元)に近づくのはむしろ飛んで火に入る夏の虫である。

余計に臭いし、何より返り討ちに遭う恐れもある。

となると、もはや発想の転換を行うしか道は無い。

歩きタバコをしている人に遭遇し、副流煙の臭いがしたら、こう唱えるのである。

「あぁ~臭い。しかし臭いということは私の鼻、つまり嗅覚が機能しているということだ。そういえば今は鼻詰まりもしてないし、これは実に素晴らしいことである。」

こう考えることによって、生卵を投げたくなるような衝動は抑えられ、晴れて菩薩のような心持ちで道を歩くことができる、ってなものである。

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