西洋哲学を学ぶ上で「アルケー」は、まさに辞書の「あ」のように最初の方に出てくる概念だ。
哲学の本を開くと最初の数ページで出てくる言葉であり、哲学を少しでもかじったことがある人であれば、一度は目にしたことがある言葉だと思う。
アルケーは古代ギリシャで生まれた概念である。
アルケーは英語では「arche」であり、古代ギリシャ語にすると「ἀρχή」となる。
意味は「根源」である。
こう日本語で表現すると、いかにもとっつきにくい言葉であるが、要するにこの世界に存在する全てのもの(万物)はアルケー(根源)から生まれ、全てのものは最終的にまたアルケーへと消えていくという考え方が古代ギリシャで生まれたのである。
いまいち表現が分かりづらいが、日本語の文献でも英語の文献でも、どうもこういった表現になるのが相場となっている。
ここはひとまず、「アルケーからモノやコトができていて、モノやコトは最後にはアルケーに戻る」くらいに捉えておけば良いのではないかと思う。
誤解を恐れず大雑把に言うと、現代人が原子やクォークといった物質の構成を研究しているように、昔の哲学者もこの世界が何からできているのかを考えていたのである。
(下に続く)
古代ギリシャの哲学者たちは、万物の根源(アルケー)が何であるかを考え続けた。
例えば、「万物の根源は水である」というタレスの言葉は有名だが、ここで出てくる「水」がタレスにとってのアルケーということである。
タレスは、この世界に存在するものは水が形を変えたものであると考えた。
タレスが生きていたのは紀元前600年頃なので、今から2500年以上前にこういう概念を思いつくというのは、正直オドロキである。
水以外にも、例えばヘラクレイトスはアルケーを「火」と考え、デモクリトスはアルケーを「アトム(原子)」と考えた。
ただ、ピタゴラスの定理でお馴染みのピタゴラスは、アルケーを「数」とした。
数が世界を支配しているということである。
アルケーの概念で難しいのは、アルケーが必ずしも目に見える物質とは限らないということだ。
数のように抽象的なものもアルケーとしてカウントされているのである。
いずれにしても、アルケーを考えること自体が凄かった理由は、当時の紀元前の世界においては、この世界が形成された理由を神話や伝説などで説明していたためである。
そんな時代に自然に目を向け、論理的、合理的にこの世界の成り立ちを考えたこと自体が素晴らしかったということである。
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