私の高校生活は、まさに暗黒時代だった。
それが原因だろうか、「生きる意味とは何か」を深く考え始めたのはその頃だ。
結局、生きる意味はいくら探しても見つからなかったが。
世間知らずだった私は、この世界で生きるからにはモーツァルトのように立派な交響曲を遺すとか、エンジニアになってザッカーバーグみたいに(Facebookのような)世界中で使われるアプリを作るとか、国家公務員になって霞が関で働くとか、そういった目標や実績が必要なのではないかと本気で考えていた。
ところが、年を取るにつれて自分の本当の能力も分かり始め、無理に努力する必要は無いと感じてからは、事はそう深刻ではないことが分かってきた。
生きるために、生きる意味は必要ではない、ということだ。
もちろん、生きる意味があっても良いが、最も大切なのは、今この瞬間を味わい楽しむこと、目の前に集中すること、心を今に集中させること、である。
ところが、人は、常に今から離れようとする。
人の心はタイムマシンのようだ。
常に過去や未来を行き来している。
また、脳は本来考える必要の無いことも「思考」として次々と生み出してしまい、我々の意識を今から奪い取り、思考の海に溺れさせてしまう。
しかし、それは映画館にいるのにスクリーンを観ることなく、自分が座っている座席の素材について2時間考えているようなものだ。
そうではなく、スクリーンに映し出される今を大切にしないといけない。
しかし、今を大切にと思いながらも、普通に暮らしていれば今を大切にすることを忘れてしまうものである。
今を大切にすることを忘れそうになった時、私は『ソウルフル・ワールド』という映画を観る。
これは、ディズニーやピクサーの映画の中で、私が1番好きな作品でもある。
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