人は、書店においては非常に優等生である。
楽しそうな本、自分を変えてくれるような本を見つけた時は、シワや傷のついていない本を掘り出し、生まれたての我が子のように大切にレジへと運搬する。
しかし、自宅の書棚に陳列されてからは、最初の数ページが読まれたのち、まもなくホコリキャッチャーとなる運命なのである。
もちろん、自身の忍耐力や継続力に自信のある方や、とてつもなく面白い本の場合はそのケースが当てはまらないこともある。
例えば、本なんて漫画の「こち亀」くらいしか読んでなかった私ですら、2000年代に世界を席巻した「ハリー・ポッター」は、映画化するのが待ちきれず小説を読みふけった。
しかし、これはあくまでも例外に過ぎない。
普通は「まえがき」や著者から出版社への感謝の言葉と第一章を読んだ後は、その本はそのまま読まれない運命になることが大半である。
例えば世界史であれば、古代オリエントにはやたらと詳しくなるが、その先の歴史はからっきし、という具合である。
これは私なりに原因が2つあると考えている。
①自分でお金を出して買った本だから完璧に理解しないと損をした気持ちになる。
②読み終えたページが物理的に消えないため、視覚的な達成感を得られず、永遠に読み終わらないような気分になり、投げ出してしまう。
こうして、本を読み始めることに抵抗を感じてしまうのではないだろうか。
少なくとも私の場合はそうだった。
だから、もう100%理解するのは諦めて、半分くらい分かればいいや、と気楽に本を読むようにした。
そして、読み終えたページは破り捨て、視覚的な達成感を得られるようにした。
これによって、たとえ仕事が忙しくて三日坊主になった本だとしても、再開する時には既に何十ページか読み終えた位置からのスタートなので、本自体が薄くなっており、初めてその本を手にした時よりも読書に対する抵抗感は薄れている。
さらに、この破り読みが効果を発揮するのは、本を60~70%まで読み進めた時期である。
このフェーズに入ると本がかなり薄くなっていて「よし!もうゴールは目の前だ!」「あとこれくらいなら簡単に読める!」という心理状態になる。
さて、確かにこの方法だと「しっかりと理解できない」とか「復習できない」というデメリットはある。
しかし、積読してその本に一切手をつけない方が大きな機会損失なのではないか。
そうなるくらいなら、いっそのこと荒療治も辞さない、というわけである。
最後に蛇足だが、学校や職場などから配布されたり、図書館や人から借りたりした書類、書籍などではNGだ。
この文章を読んでいるあなたがヤギなら許されるかもしれないが。
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