勉強嫌いなのに進学校へ行くと非常に辛い思いをする。
私がそうだったからだ。
私は小さい時から塾に通い、公立の小学校と中学校では成績上位だった。
しかし、勉強は嫌いだった。
試験勉強もいつもギリギリになるまで手をつけなかった。
それでも、下手に塾なんかに行っていたものだから、試験の成績は割と良いものだった。
これが、あろうことか自分を天才だと勘違いさせる要因となっていた。
そして愚かにも、自分は頭が良いんだというプライドが生まれ、偏差値ナンバー1の高校に進み周囲に私の優秀さを示さねばというエゴが芽生えた。
中学校の担任には、「偏差値ナンバー1の高校は勉強が大変だから、偏差値ナンバー3か4にした方が良いよ」と言われたが、自分のちっぽけなプライドは当時、先生の言葉に聞く耳を持たなかった。
幸か不幸か、私は偏差値ナンバー1の高校に合格した。
高校の授業というのは、進学校でもそれ以外の学校でもカリキュラムの量が小中学校とは比べ物にならないほど多い。
さすがは高等学校というだけあって学問のレベルも段違いに高い上、進学校ともなると定期試験のレベルが異常に高い。
当然、試験の直前にしか勉強しない私は、その膨大な情報量を処理しきれず、高校1年の1学期の時点で見事に落ちこぼれとなった。
中学時代の勉強法で乗り切れるだろうと高を括っていた馬鹿な私に、早々と鉄槌が下された。
高校3年間は本当に辛かった。
英語や古典の翻訳など、とにかく普段の予習が多すぎる上、授業では高度な出来を求められた。
夏休みや冬休みには鬼のような量の宿題が出された。
3年間を通して、授業で指名されても分からないことが多かった。
周りが答えられるのに、自分が答えられないことに毎日怯えていた。
トンチンカンな答えをしてしまい、先生や生徒から笑い声が聞こえることもあった。
かといって、家に帰ってから猛勉強する気力もない。
勉強できない自分なんて周囲の人たちにとっては迷惑な存在なんだろうな、と自分の価値がゼロになる感覚にも陥った。
文化祭も体育祭も修学旅行も全く楽しめなかった。
勉強できない自分が勉強以外の行事で目立つ権利なんて無いように思えて仕方なかった。
友達という友達もできなかった。
次第に学校も休みがちになった。
学校をサボって海に行ったこともあった。
学校を辞めてニューヨークでラーメン屋を開こうかと馬鹿な妄想をしたこともあった。
最終的には留年ギリギリの出席率と赤点ギリギリの成績で、高校という牢獄からは卒業という正規ルートで脱出することはできた。
これは正直、奇跡としか言いようがない。
プライドなんてものはズタボロに砕かれ、卒業する頃にはその欠片すら無い状態だった。
周囲が旧帝大や早慶に進むことを喜ぶ中、私だけは学校を卒業できた事実に大喜びだった。
しかし、もし私が家から遠い偏差値ナンバー1の高校ではなく、地元の偏差値ナンバー4か5くらいの高校に入学していれば、どれだけ楽しい高校生活が送れただろう。
或いはそうでなくとも、幾分マシな高校生活にはなっていたはずである。
叶わぬ夢と知りながら、今でも私にとって取り戻したい真の高校生活があることは事実なのである。
勉強が嫌いなら、進学校ではなく中堅校に行くべきだと私は思う。
進学校で落ちこぼれるよりも中堅校で上位にいた方が学生生活が楽しくなるだろうし、勉強もそこまで嫌いにはならないだろう。
就職や大学への進学もスムーズにできるようになるかもしれない。
進学校は、純粋に勉強が好きな人や、大きな夢があって勉強を頑張れる人に向いている場所だ。
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