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幸せの基準を下げれば今すぐ幸せになれる

2018.08.16 Updated

現代における幸せとは何だろうか。

良い大学を卒業して大手企業に入ったり公務員になること?

起業して億万長者になること?

美男美女と結婚すること?

豪邸に住み高級品を買うこと?


こういった事柄のみを幸せとしている人に本当に幸せな人はいないと断言できる。

なぜなら、飽くなき欲望や探求心、努力や夢は、一見素晴らしいものだと謳われるが、それらは常に苦しみが伴うからである。

また、目的が実現しなかった場合に、心身共に大きな苦痛を味わう結果にも繋がりかねないからだ。

ただし、これは何も「猛勉強して医者になったり、練習に練習を繰り返して甲子園を目指すことに意味がない」と言っているのではない。

そういう高い場所にのみ幸せを見出すのでなく、普段の生活、一瞬一瞬に幸せを見出すべきだということである。


例えば、現代の日本に飢饉は無い。

農業技術や流通が発達し、国民が飢えに苦しむということは無い。

空調技術も発達し、夏はクーラー、冬は暖房と、年中快適な温度で過ごせるようになった。

井戸まで水を汲みにいかなくても、蛇口をひねれば冷水もお湯も手に入る。

雨風に当たらず夜寝ることができる。

医療技術が発達し、数百年前よりも苦痛を感じることは減っている。

国内は馬ではなく、車や電車で移動でき、海の地平線の彼方へは船や飛行機で行くことができる。

労働が楽しいものではないのはもっともだが、それでもお金を稼ごうと思った時に、選ばなければ仕事は山のようにある。

就労できなければ、生活保護を受けたり、親や親戚に泣きつけば、生きていけないこともない。

友達がいなくても、膨大な量の本や映画やゲームやアニメを楽しめる。

ここ20年でインターネットは世界中に広がり、世界中の人々と繋がることができ、ビジネスを展開することも可能になった。


このように、現代とは、古代の人々がどれだけ莫大なお金を払っても夢見ることしかできなかった未来なのではないだろうか。

学校や仕事、人間関係が辛く、もっと汚い言葉で言えば「クソ」のようなものであるのは間違いないし、奴隷のような労働は徹底的に淘汰されるべきなのは当然とした上で、長い歴史の中で現代社会を見つめた時に、過去と比較すれば意外と「幸せ」はたくさんあるのではないだろうか。


当たり前のことが、当たり前でなかった時代を考えてみると、幸せの基準が変わっていく。


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